潮のにおいと、夏の約束
海へ行ってきた。
潮のにおいに誘われて、なんとなく。
久しぶりなのに、不思議と「ただいま」と思えた。
砂浜に立つと、足もとがひんやり。
冷たいというより、静かに緩む感じ。
身体の奥の緊張が、すうっとほどけていく。
透明な波が、足首をくすぐる。
そのたびに心の中の小さな重さが、
波にさらわれていくようだった。
空は真っ青で、雲はぽっかり。
風にのって漂う姿を見ていたら、
「これでいいんだ」
そんな声が、心の奥で響いた気がした。
特別じゃないのに、特別に感じる瞬間。
それが、いちばん尊い。
沖には、小さな島の影。
山の緑と、ぽつりぽつりと灯る家の光。
「ああ、人が暮らしているんだな」
ただ眺めているだけで、そばにいるような気持ちになった。
帰り道、ふと空を見上げると、
山の上に大きな雲。
のびをしているようなかたちで、
「ゆっくりしていきなよ」と語りかけてくる。
思わず立ち止まった。
シャッターに収まる景色もきれいだけれど、
波の音や、海草のにおい、
陽ざしの温かさ――
写らないものほど、心に残るのかもしれない。
砂浜に残った自分の足あとを見ながら、
「また来よう」とそっと思った。
それは誰かとの約束ではなく、
きっと自分との小さな約束。
夏の終わりに、こんな静かな贈りものをもらえるなんて。
潮風の中で、時間がゆっくり流れていることを知った。