竹中缶詰のオイルサーディン
缶詰を開けるという行為が、こんなにも丁寧で、こんなにも心に響くものだったとは。
その日、仕事帰りに買ってきたお気に入りのクラフトビールを片手に、台所でふと思い立って、戸棚の奥にあった金色の缶に手を伸ばした。
竹中缶詰のオイルサーディン。
宮津の海から届いたこの缶は、少し特別な日のためにと取っておいたものだ。
「カシャン」と控えめな音を立てて、蓋が少しずつめくれていく。
すると現れたのは、びっしりと、そして何より美しく並べられたイワシたちの姿。まるで宝石を並べたかのような均整の取れた光景に、思わず見とれてしまった。
缶詰にこんな“静かな感動”があるなんて。
心がスッと洗われるような、そんな瞬間だった。
キッチンに立ったまま、フォークでそっと一尾すくい上げる。
しっとりとした質感。オイルが光り、小さな魚の身に自然な艶がある。
一口、口に含んだとたんに、驚くほどやさしい塩気とともに、ふわっと広がる海の風味。
決して自己主張が強いわけじゃないのに、なぜかしっかりと記憶に残る。
味覚ではなく、五感で味わっているような不思議な感覚だった。
たかが缶詰、されど缶詰。
手間ひまかけて並べられたその姿からは、作り手の誠実さがにじみ出ていた。
きっと誰かの手で、一尾ずつ丁寧に詰められたんだろう。
“便利”を求めて選ぶ缶詰が多い中で、これは“尊敬”を抱く缶詰だった。
気がつけば、テレビもスマホもつけずに、静かなまま夜が更けていた。
たった一缶のサーディンが、私の中の「丁寧に生きる」感覚を少しだけ呼び起こしてくれた気がする。
こんなふうに、暮らしのなかの小さな贅沢と向き合える日が、もっと増えたらいい。
缶詰一つで、心が整う──そんな日も、あっていいと思う。