嵐の前の空を見上げて
午後のティーカップをひと口。
ふと、窓の外に目をやると、そこにはいつもの明るさが見当たらなくて、少しだけ体が静かになる。
広がっていたのは、重たく厚い雲。
それはまるで、大きな毛布のように空全体を包み込み、どこか遠い海の底に迷い込んだような気分にさせてくれる。
雲の隙間から、頼りなげな光がすっと降りてくる。
それが地面に届くころには、もう力を失ってしまったみたいに、薄くて、かすかで、でもたしかに美しい。
私はしばらくのあいだ、なにもせず、ただその空を見つめていた。
空のうえでは、今まさに何かが始まろうとしている。
けれど、まだ誰も気づかない。そんな気配が、じわりと胸の奥に広がっていく。
思い出すのは、子どものころ。
嵐が近づくと、家のなかがざわついた。
窓を閉める音。外に干していた洗濯物を取り込む母の背中。
そして、遠くから聴こえてくる雷鳴。
私はというと、ほんの少し怖がりながらも、どこかワクワクしていた。
それはまるで、まだ見ぬ冒険の入り口みたいで。
今になっても、その気持ちはたしかに心のなかに残っていて、こんな雲の下にいると、昔の私がそっと肩を叩くように顔を出してくる。
「今日は、どんな雨が降るんだろうね」って。
自然の大きな力に包まれると、
頭のなかをしめていた心配ごとや焦りが、
ふっと薄れていくのを感じる。
空が渦を巻くように流れていく様子を、私はそっとカメラに収めながら思った。
私たちの日々は、つい似たような繰り返しに思えてしまうけれど、空は一日として同じ顔を見せてくれない。
昨日とは違う今日の空。
今この瞬間にしか出会えない、その表情に出会えたことが、ちょっとだけうれしかった。
今日の午後は、そんな時間。