うつろいの空に、心をゆだねて
一枚目の写真に映るのは、白くやわらかな雲のかたまり。
まるで水墨画の筆先がふわりと触れたような空が、家並みの屋根越しに広がっていました。
電線が横切るいつもの風景も、この雲の曲線にそっと包まれると、不思議と非日常の入り口に見えてくる。
空というキャンバスに、ふいに現れる雲のかたち。
その一瞬の景色が、日常というフレームを超えて、
どこか遠い旅先のような気持ちへ連れて行ってくれるのです。
次に目にしたのは、空をすっと裂くように伸びた、細くて長い雲。
絹糸のように繊細で、今にもほどけてしまいそうなその姿に、私はしばらくのあいだ見入ってしまいました。
風に寄り添うように、雲は静かにかたちを変えていく。
ひとつとして同じ姿はなくて、
そのうつろいはまるで、夏の空が与えてくれた「余白」のよう。
なにもせず、ただ見上げるだけの時間。
でもその「だけ」が、今の私にとっては、とても大切なことのように思えたのです。
気づけば、暮らしのなかに空を見上げる時間が、少しずつ戻ってきています。
忙しい日々のなかでは、つい目線が下がってしまうけれど、
空はいつだって、そこにあって、
雲や光で「今」のかけらを教えてくれている。
カメラを向けた一瞬の景色。
それをあとから見返したとき、心にぽっと灯るなにかがある。
それはきっと、写真のなかに閉じ込められた「日常の中の小さな祝祭」。
この夏の空は、少しだけ詩のようで、
少しだけ祈りのようで。
雲の輪郭がくっきりと浮かび上がるたびに、心の重さがふっと軽くなる気がしました。
ささやかだけど、確かに豊かな時間。
空を見上げることは、いつだって自分を取り戻すことなのかもしれません。
次に見上げるとき、そこにはどんな雲がいて、
どんな言葉をかけてくれるのか。
そう想像しながら、今日もまた、空にそっと「ありがとう」を伝えました。